ポスドク問題について

日本では、博士号の価値が低いとされる。

昔ながらの年功序列とはいかないまでも、企業の組織論からは、ピースとしてはめにくいのが実態だろう。

問題は、博士号を取得するほどの知が、海外にその行き場を求めて渡ってしまうことだ。日本の生産に寄与されないとしたら、国力が落ちてしまうと考えるのが自然だ。

理系と文系で捉えられ方の差があると聞く。やはり理系のドクターは研究職として評価される分野は多いようだ。それに対して、文系でも経済学や商学、法学の分野は多少マシなようだが、文学の分野では30歳くらいで社会に出ることに、相当の壁がある。修士を持っていても同様で、学校教員や専門書の編集者になる道に限られる。

社会に出てから、博士号を持つ人とコミュニケーションをとることが、ほとんどなかった。というよりも、博士号の凄さを知らなかったから、聞き流してしまっていたのかもしれない。しかし、この教育界で仕事していると、博士号の難しさや重みを感じることがあった。

このポスドク問題に興味を持ち始めたのは最近のこと。新聞報道でも、国や政府が動き出したと目にするようになった。奨学金など、生活援助することで、研究に力を注ぐ環境整備をしていく流れがある。それは、政府として海外流失の問題を解決するためのシナリオがあるからだ。一方、雇用主の意識は変わるのだろうか。実務経験が乏しくとも、博士号を持つ人に高い給与を提示できるのか。同じ30歳なら、実務経験8年の人を優遇したくなる心理は拭えるのか。

そのためには、博士号の価値を情報発信する必要はある。博士号を持つ人の成功キャリアを、もっとメディアで紹介していくことで、一目置かれる市場価値を生み出すことができるのではないか。国内でどれだけの人が博士課程を受けているのか、毎年何人が博士になっているのか。どんな研究分野があり、それが世の中にどんなインパクトを与えるのか。そんな情報がシェアされることが求められる。

リカレント教育の観点からも、学び直しで大学院で修士を取得できたとしても、それが結局のところ実務の成果に結びつかなければ、学び直しの価値は低減する。社会人教育の普及において、ポスドク問題は多くの企業に提示すべき課題を含んでいると考える。

なぜ社会人が大学院に入るのか

22〜23歳で大学を出て働く人が、周りには多くいる。いわゆる偏差値の高い大学を卒業し、有名な会社に勤めることができる人もいれば、そこそこの私立大学を卒業し、そこそこの企業に就職したという人も数多く存在する。

私は、いわゆる氷河期世代の一人。残念ながら、偏差値の高い大学に行けなかったことを、未だに根に持ち、学歴コンプレックスは消えていない。現在、教育関連の会社で社会人の学びを支援するのが、ここ15年近く携わらせてもらっている仕事だ。

この教育ビジネスの世界では、人生100年時代における「リカレント教育」が、マーケットのキーワードになっている。学校を出てから仕事をして、60歳で引退をするという人生設計から、キャリアの途中で学び直しをして、再度仕事やプライベートを充実させる、そんな人生設計が提案されている。

不思議なことに、社会人で学ぼうとする層は、二極化しているように感じている。一つは、高学歴層。国公立大や有名私大を卒業した、いわばエリートや幹部候補生。もう一つは、高校・専門卒・夜間や通信大学卒などの低学歴と言われかねない層である。もちろん、その中間層もいるにはいるが、存在感は薄く感じられる。

学ぶ目的はそれぞれだが、それでも共通点はある。それは、当然だが、学ぶことに真剣であること。真面目とも違うが、学ぶことが好きな人という印象が強い。ただ、違いとしては、前者の高学歴層は、自身の研究テーマを高度に磨き上げるのに対し、低学歴層は何かを取り戻そう、追いつこうとする姿勢が見えなくもない。

両者の存在に気がついてから思うところは、世の中の生き辛さを感じて、居場所を求めてきたように見えてしまうことがある。そう感じる原因は、自分自身の学歴コンプレックスからくる歪んだ視点からくるものかもしれない。

かつて、30歳くらいに大学院に行くという選択肢を考えたことが一瞬あった。そのころは、こんなに忙しいのに大学院に行くなんて、会社を辞めるしかないと思ったら、怖くなって、それ以上足が前には進まなかった。そのころ転勤になったことも、一つの言い訳になってはいる。

「なぜ社会人が大学院に入るのか」という問いについては、社会のなかでの自分のポジションを明確に描いている人と、明確ではないが、とにかく自身の居場所を探し求め、自分探しをしている層があるというのが、今のところの結論になる。

悪くはない。自分もかつてそうだったように、そんなことを考えるタイミングは、人生のなかで何回かあるだろう。そんな人に寄り添える仕事の意義を考えながら、行動に移すことが、当面の目標である。